■きっかけは自分のためにデザインした一つのバッグ
ジュリアーナがデザインに目覚めたきっかけは、自分のために作った一つのバッグでした。戦時中の物が乏しく欲しい物が手に入らなかった時代、もともと手先が器用だった彼女は自分で持ちたいバッグを自らデザインし、自分で縫って作りあげたのです。出来上がったバッグをさっそく持ち歩いていると、見ず知らずの婦人に是非売って欲しいと声を掛けられました。この時ジュリアーナは自分のファッションへの才能に予感めいたものを感じたといいます。その後も精力的にバッグのデザインを続け戦争が終わり生まれ育ったヴェニスに戻ったジュリアーナは、1945年ロベルタ社を設立し本格的に仕事を開始します。
当時、ファッションは保守的でバッグは靴と揃っていることが常識的だというセオリーがあったといいます。しかしジュリアーナが生み出したのは、ビビッドな色彩の自由なバッグ。窮屈なルールは意識せず、口金を使った個性的なスタイルなど自分らしい自由なデザインを発表していきました。地味な色が主流だった中で彼女が生み出す色彩豊かなバッグは、バッグ単体でジュエリーのような輝きを放つ存在でした。ファッション誌『BELEZZA』にも取り上げられると、またたく間に女性たちの共感を呼び、当時ヴェネツィアで一番の高級バッグショップ「ボジーニ」でもロベルタのバッグは飛ぶように売れていったといいます。
ハンドバッグに“ファッション”という命を吹き込んだこと、それがジュリアーナの大きな功績だったのかもしれません。バッグが実用的な袋としてしか見られていなかった頃、ジュリアーナが直感で生み出すデザインは当然のようにそこに豊かなファッション性がありました。ロベルタのバッグは時代に憧れと活気をもたらしたのです。
グレース・ケリーも愛した「バゴンギ」の大ヒットで世界的なファンを獲得すると、バッグだけでなく服や傘などの雑貨へと広がりを見せ、ついにジュリアーナはニーマンマーカス賞というファッション界のオスカーとも言われる大きな賞を受賞します。
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